古昔(孤石)は、鉄原郡東送邑長興里一帯の漢灘江峡谷内で観察される高さ約15mの花崗岩*岩だ。 周辺には孤石停という楼閣があり,一帯の峡谷を総称して孤石亭という地名で呼んでる。 一帯は玄武岩の溶岩大地形成以前の地形とともに玄武岩質の溶岩が基盤岩の上に流れ,溶岩大地を形成した事実が確認できる重要な地質·地形学習場として高い価値を持っている。 古昔は鉄原(チョルウォン)土地が溶岩で覆われ以前にいた基盤岩で約1億1千万年前(白亜紀中期)に地下で形成された花崗岩である。 これは長い期間の作用により地表に現れて以来、約54万年前から約12万年前の間に起きた火山活動により玄武岩溶岩流に覆われたが、漢灘江(ハンタンガン)によって侵食作用が起き、新しい水路を形成する過程で、地表に再び表れるなのだ。
孤石を抱えている漢灘江は,鉄原の溶岩帯の間を流れて深い峡谷を作る。 しかし,溶岩が噴出する前にあった昔の漢灘江の水路は,今日とは違った。 今のような峡谷の誕生は,溶岩大地形成以後,従来の水路が埋められ,川底の高さが高くなるにつれ,河川が下を削る力(下方浸蝕力)が増えてきたのが原因だ。 これは,河川が常に基本的に海水面と高さを合わせようとする性質を持っているためだ。 このような現象は,龍岩大地の形成過程において必然的に起こる現象だ。 これによって漢灘江が溶岩大地を深く掘っていくようになったのであり,その過程で玄武岩の溶岩流に覆われた下部岩(花崗岩)の一部であるが地表に孤石が現れるようになったのだ。
孤石を中心にこの一帯の地形を見ると,右側と左側の姿が非対称になっている。 これは,埋めった漢灘江が新たに形成される過程で,主に二つの岩石の接触部(境界)に沿って浸蝕作用が活発に行われたためだ。 このように,お互いに違う種類の岩石が出会う場所は,他の場所に比べて浸蝕作用が易しく起き,長い時間が経てば深い渓谷に変わるようになる。 このような影響から,孤石一帯は従来あった花崗岩が位置した方面には比較的緩やかな山地をなすが,溶岩大地を構成する玄武岩がある方面は柱状節理(columner joint)によって垂直に絶壁を作り,河川の両方の地形が非対称になっていることをはっきりと確認することができる。
これと共に,古石は漢灘江の峡谷内で基盤岩である花崗岩が玄武岩によって不精合(unconformaity)*で覆われている姿を最も特徴的に観察できる場所だ。